ゆなの視点

30過ぎに戸籍の性別を女性に変更しました。そんな私の目から見た、いろんなことについてお話しできたらと思っています。

漫画紹介 渡辺ペコ『ボーダー』

普通に恋をするトランスヒロイン

渡辺ペコさんの『ボーダー』は、かつて『ジャンプ改』という、なんだか趣の異なる多様な漫画家さんが連載をしていて、そしてあっという間に休刊になった不思議な雑誌に連載されていた漫画です。いくつかのヒット作は休刊後に別の雑誌に移籍しましたが、この作品は休刊とともに終了となったみたいです。そのため全二巻と読みやすい長さで収まっています。その代わりに本当なら語るはずだったと思われるいろんなことが放置されていますが…

ここから先、ネタバレをがんがんしながらこの作品について語りますので、そういうのが気になるかたは、ぜひ先に読んでみてください。かつては手に入りにくい漫画でしたが、いまはKindle版があるのですぐ読めると思います。

この作品は、就活の時期になってもなんとなく乗り気になれないままに山登りをしたりしている大学生の男の子清田くんが、たまたま出会った年上の女性種田さんに恋をするお話。ですが冒頭の講義でジェンダーの話が語られるなど、そうした路線に進むことが初めから暗示されていて、ほどなく恋の相手である種田さんが実は数年前まで男性として暮らしていたトランス女性であることを知ることになります。

清田くんは同じ大学の女の子である桜井さんと年上のお姉さん種田さんのあいだをふらふらしつつも、でも種田さんへの想いを募らせていきます。その反面で、種田さんは清田くんとの交際に踏み切る勇気がなかなか湧かずに葛藤することになります。

普通の恋愛もの、だからこそいい

この漫画の特筆すべき点は、種田さんはもはやとっくに移行を終えて、普通に綺麗なお姉さんとして暮らしているというところです。性別違和の悩みや移行の大変さはほとんど語られない。

ただ種田さんはかつて女性と結婚していて子供もいるということになっていて、結婚後に移行したひとなので、そのあたりのごたごたは多少描かれていますが。たぶん本当は長く連載できたらかつての奥さんや子供との関係についてもいろいろ語る予定だったと思うんですよね。清田くんと元奥さんが会うなどの出来事も特にありませんし。

ただその結果として、この漫画はびっくりするくらい、いっそ拍子抜けするくらいに、普通の年下の男の子と年上のお姉さんの恋愛漫画なんです。それが読んだ当時すごく新鮮だった。トランスの女のひとでも、こんなに普通に恋愛をしていいんだ、体の悩みとか偏見の話とかそんなのばかりの物語じゃなくていいんだと、妙に感動して、それ以来お気に入りの作品となっています。

種田さんが綺麗で可愛い! …けど綺麗で可愛すぎる?

ヒロインの種田ようさんが、とにかく可愛いんですよね。清田くんと桜井さんが歩いているときにひったくりに遭い、種田さんがひったくり犯に向けてリンゴを投げて荷物を取り返すというのがきっかけで二人は、というか三人は出会うのですが、綺麗なお姉さんがいきなりひったくり犯にリンゴを投げつけるというのがまずかっこいい。実は種田さんは元高校球児で、投球には自信がある、ということが後に判明します。

さらにうまく言い訳をして連絡先を聞く清田くんに、(いま手元に実物がなくて正確な台詞は確認できないのですが)大人の余裕を見せつけつつ「なんか調子いいなあ」といった口調で連絡先を教えたり、とにかく種田さんがひたすら魅力的なんですよね。

種田さんは30くらいで性別を移行した30代のトランス女性で、職業はシステムエンジニア。職業こそ違うものの何となく世代や移行時期も近く、私からするとたいへん共感しやすい人物が、こんなにものびのびと恋愛をし、大人のお姉さんとして若い男の子に向き合っている、その姿に私はものすごく憧れて、「いつかこんなふうななりたい!」と思ったのでした。

ただ、そこが魅力的な反面、そこがたぶんこの作品の欠点でもあるのかもしれせん。というのも、種田さんはあまりに自然に「お姉さん」なんです。

まず、絵柄のせいもあってか、種田さんは服を脱いでいるときにさえ、どこにも移行前の痕跡が見られない体型なんですよね。声にも問題がなく、本当に言われないとトランスだと誰もわからないようなひとみたい。もちろん世の中には30で移行してそんな感じになるひともいると思うのですが、それでもできたら、もう少しくびれがなかったり骨盤が狭かったり背が高かったりする体型にしてほしかったと感じます。私自身が性別違和を主に体の問題として経験してきたタイプなのもあって、体の描き方ってすごく大事に感じるのです。

もちろん、あえてパスが容易な外見に描くという手法も場合によってはありだと思うのですが…(いつか紹介したい『If I Was Your Girl』はそういう作品で、狙いも説明されていました)。

あと体型以上に、態度があまりに「自然」すぎると感じるんですよね。これも個人差はあると思うのですが、種田さんと同じく30前後で移行した身からすると、30年以上生きているにもかかわらず女性としての人生経験はほんの数年みたいな感じなので、余裕のある大人のお姉さんどころか、しっかり言われないと男性からの好意にも気づけない、デートに行っても男性として女性と出かけたりした経験からの刷り込みのせいで、なぜかこちらがドアを開けたりしてあげようとしてしまって、お互いにぎこちなくなってしまう、好意をまっすぐにぶつけられるとびっくりして逃げてしまうか、異様に舞い上がってしまったりするなど、到底「余裕のある大人」とは言えないことばかりしてしまうんです。

私がそんな性格なだけだと言われるとそうかもしれないけど、それにしたって種田さんはあまりに慣れすぎていないかと気になってしまいます。

この辺は難しいところですよね。だからこそ、「私はそうなれていないけど、いつかこんなふうになってみたい」と憧れることもできるわけですし。でも「本当にこういう経歴のトランスのひとがこんなふうになれるのだろうか?」と気になったりもします。わずかに描かれる移行前の姿や振る舞いと移行後の種田さんのあり方がやや切断されているように見えるのもその原因かもしれません。

ただの恋愛に憧れるトランス女性へ

この漫画はどちらかというと、シスのひとよりもトランスのひとに勧めたいと感じます。特に「自分に似たひとが普通に恋愛する姿を見たいのに、そういう作品が見つからない」と感じているひとに。

上に述べたように描写に気になる点はあるとはいえ、トランス女性が単なる恋愛もののヒロインになっている稀有な例なので、きっとそこかしこに読んでいてときめく部分を見つけられるだろうと思います。

ちなみにこの作品には前日譚があり、『おふろどうぞ』という短編集に収録されています。移行が進んで外見はかなりフェミニンになった種田さんが手術を受ける前に子供と一緒にお風呂に入る姿が描かれています。子供が率直に「ちんちん」のことを訊いて、少し微妙な間を開けて話す種田さんの様子に胸が痛くなります。

おふろどうぞ

おふろどうぞ