ゆなの視点

30過ぎに戸籍の性別を女性に変更しました。そんな私の目から見た、いろんなことについてお話しできたらと思っています。

小説紹介『Hopeless Romantic』

出会いはアウフヘーベンのきっかけ

カナダの作家Francis Gideonさんによる小説。作者さんはノンバイナリーのひとのようです。
https://www.amazon.co.jp/Hopeless-Romantic-Francis-Gideon/dp/1626495572

絶版になったのかめちゃくちゃプレミアが付いていて、しかも前に見たときはそんなことなかったと思うのですが、アダルト商品になっていました。

ちょっと事情がわからないのですが、何か揉め事があったのか、出版社のサイトでも作者さんのサイトでもなかったもの扱いになっているみたいなんですよね。何があったのでしょう。

でも! 私はこの小説が大好きなんです! 30過ぎにして生まれて初めて、活字の本で泣いたのがこの小説なんです!

あらすじ

主人公ニック・フレイザーは彼氏と別れたばかり。これまで男のひととしか交際したことがないニックですが、どうも誰と付き合ってもニックの憧れを理解してもらえない。というのもニックは、ベタベタなくらいにロマンティックな恋愛が好きな「hopeless romantic」だったんです。

ニックは博士論文執筆中の大学院生なのですが、同じ大学に通うケイティという女性と出会います。音楽や映画の話で意気投合し、生まれて初めて女性に恋心を抱き、戸惑うニック。戸惑いながらも率直に自分の気持ちを語ると、ケイティは自分がトランスであるという事実を打ち明けます。

ゲイとしての自分のアイデンティティと、ケイティの女性としてのアイデンティティ、そしてケイティへの恋心、この矛盾に直面し、ニックはこれまで知らなかったトランスの女のひとのことを理解しようとするとともに、自分自身を問い直すことになります。

「ちょっと待って!」と思いました?

ゲイであるニックがトランス女性のケイティに恋をする、これって変な感じがしますよね。いえ、トランス女性の登場する作品を「BL」と呼んでしまうようなひとも私は見たことがあるので、引っかからないひともいるかもしれません。でも、トランスだろうがなんだろうが女は女だと思っているなら、つまりはトランスのひとのアイデンティティを尊重しているなら、むしろここは引っかかるポイントのはずなんです。ぎょっとすると思う。

ニックはケイティがトランスだと知らないまま想いを打ち明けます。ケイティは自分がトランスであるとニックが気づきもしていなかったということに戸惑って、そうした事情を語ります。それまでゲイだと打ち明けていなかったニックはここで安心したかのように「なんだ、そうだったのか、それで合点がいった」みたいな発言をします。

…え、それでいいの? と思うべきポイントです。でも、安心してください。それこそがこの小説の最大のテーマなんです。

嬉しそうにケイティへの自分の想いを受け入れ始めるニックに対し、ケイティは猛反発します。「自分はゲイだと言って、私がトランスだと知ったら『なるほどね』って、それって要は私を男だと思ってるってことでしょ?」と。それまでトランスのひととの交流がなく、知識もなければ配慮もないニックは、ここで初めて自分がケイティのアイデンティティを踏みにじったことに気づきます。そしてここからすべてのドラマが始まるんです。

ニックは何度かケイティを傷つけてしまう。でも二人は互いに強く惹かれ合い、ケイティは根気よくニックに自分のことを伝える。そしてニックもがんばってケイティのことを、トランスの人々のことを理解しようとする。そしてだんだんと、ニックは自分のアイデンティティを見直してでもケイティを愛したいと思うようになる。そうした自己変革のドラマがこの小説の核となります。

ここで鍵を握るのがニックのルームメイトでドイツ観念論に関する博士論文を書いているタッカー。ゲイとしてのアイデンティティとケイティへの恋心とケイティの女性としてのアイデンティティが矛盾すると悩むニックに、タッカーはドイツの哲学者ヘーゲルの名前を挙げながらアドバイスをします。矛盾に直面して、それを止揚アウフヘーベン)することでひとは成長していくんだと。ニックはやがて、自分のことをバイセクシャルとして認識し直し、ケイティを無条件で女性として愛するようになっていきます。

あんまりに可愛い二人の恋模様

実はこの小説、何がツボって、私好みのシチュエーションに満ち溢れていたんですよね。ニックもケイティもベタなロマンスが大好き。二人ともお金はあんまりないけれど、どうにかこうにかベタなロマンスを作り上げようとがんばります。

行くのは近所の安いレストランだけど、二人とも目一杯着飾って待ち合わせをし、まるで一流のレストランに来たみたいにケイティの椅子を引いてあげるニック。ニック自身の好みもあって、ケイティと付き合いだしてからのニックは本当にお姫さまみたいにケイティを扱うんですよね。作中でニックのお父さんも言うことなのですが、女性扱いの経験が少なく、そのうえベタなロマンスを好むケイティにとっては、それってたぶんいちばん求めているものだと思うんです。

私もたまに荷物を持ってもらうとか、ドアを開けておいてもらうとか、食事をご馳走になるとかすると、たまらなく嬉しかったりします。奢ってもらいたいとかではないのでお金自体は相手が固辞するとかでなければ出しますが、それよりも何よりも、レディとして扱ってもらえるというのが、「ああ、いま私はちゃんと女のひととして、それも敬意を払うに値する女のひととして見られている」と感動するんですよね。だから二人のデートを見ながら「そう、これ! わかってる!」と叫びたくなってしまいます。

そして音楽や映画の趣味が合う二人の会話も本当に可愛い。お互いに「AかBか」みたいに二つの作品名を並べてはどっちを選ぶか言い合うというのを何度かしているのですが、それがもう見ているだけで「私もこんなふうに話せる男性と出会いたい!」と心から羨ましくなります。

そんな二人がどんなふうに愛を深め、どのような結末を迎えるのか、ちょっと手に入れにくい本ですが、古本などでもしかしたらあるかもしれないので、ぜひ読んでみてもらいたいです。

女の子的なものへの憧れ

ヒロインのケイティがとても魅力的なキャラクターなんですよね。音楽や映画の話をするときの生き生きとした様子。たまにとんちんかんなことを言い出すニックを、それでも信じて諭す様子。それに加えて、ケイティが見せる女の子らしいものへの憧れが、痛いくらいにわかるんです。

ロマンティックなシチュエーションを好むこともその一部なのですが、それ以外でもこの小説でとりわけ印象的だったエピソードがあります。それはケイティがトランスの友達と一緒に移行記念日を祝うという話。二人はその日だけ子供に戻り、子供のころには買ってもらえなかったバービー人形なんかを買ってきて、二人だけで遊んで、そして翌日になると親戚の子にそれをあげるのだという。もう子供時代は取り戻せないのだけれど、せめて一日だけでも、女の子として、女の子らしいおもちゃで遊んでみたい、それははたから見ると滑稽でもあるかもしれないけれど、でも真っ当な子供時代を送れなかったという傷を癒すための、せめてもの埋め合わせなんですよね。

私もこの年になってぬいぐるみを買ったりするようになりました。服装も、本当はもっと大人げないものを着てみたい。できたらいきているうちで一度くらい女の子の制服を着てみたりもしたい。リカちゃん人形とかシルバニアファミリーとかも、一回くらいは触れてみたい。

本当は、生まれ直してただの女の子としてすべてを普通に経験したいんです。本当は、初めからそういうふうに生きたかったんです。でも無理だった。姉妹がいたりしたら多少はそうしたものに触れる機会もあったかもしれませんが、私は弟がいるだけなのでそういうことさえなく、とにかく女の子らしいものに触れる機会がなかったんです。かろうじて持っていたのは可愛い文房具くらいで、それもほかの子に見つかってからかわれたりしていました。

街を歩いていて、普通に女の子らしい服を着て、髪を伸ばしているような幼い子供を見たりすると、憧れや妬みでどうしようもない気持ちになるんですよね。もちろんその子が本当は男の子である可能性はあって、その場合はその子にとっても苦しいことが多いと思うのですが、そうでない場合は、どうしても「この子は私が手に入れられなかった普通の体を持って、私には許されなかった長い髪をして、私は買ってもらえなかった服やおもちゃをもらい、そしてたぶん私にはしてもらえなかった女の子扱いを普通にされているんだろうな」と感じてしまう。
そんなくらい、女の子らしいものへの憧れは強烈なんです。大人になって人形遊びに夢中になるわけにもいかない、でもせめて一日だけは。その衝動が私にはよくわかるし、私も試しに買ってみようかなと思ったりしました。

ちょっと性的な描写がきついところも…

そんな大好きな小説なのですが、ひとつだけ苦手なところも…。それは性的な描写がきつく、かつやけに長いところです。もしかしたらそういう小説のレーベルなのかもしれませんね。ほかのところは可愛らしいのに、言葉遣いも振る舞いもやけに荒々しいし。

あとケイティは手術は受けていないひとという設定なんですね。それ自体はいいのですが、ベッドシーンでケイティのペニスにニックが触れるような描写とかは、ケイティはそういうのが大丈夫な人物なのかもだけれど、私としては少しきつい。私の場合は、男性として暮らしていたころには女性と交際したりしていて、そのときはそういうものと割り切っていたけれど(とはいえあとで心理的に調子を崩したりするのですが)、女性として暮らし出して以降に男性と少し交際した折などにペニスに触れられたりしたのはどうにも受け入れられなかったので、ちょっと苦手な描写でした。

等身大で魅力的なトランスヒロイン

苦手なところもありつつ、でも私はHopeless Romanticが大好きです。なんといってもヒロインのケイティがいい。

最近トランスの友達と飲んでいたときにも話したのですが、どうにもこうにも既存のフィクション作品には私たちに似たヒロインが少なくて、うまく共感したり憧れたりしにくいんですよね。シス女性のヒロインは、可愛いとかかっこいいとか思うことはあってもどこか隔絶した存在に思えるし、描かれる思い出とか感情とかもあまりリアルに感じられないんです。子供時代のこととかたぶんぜんぜん違いますしね。あと生理とか妊娠とかについても、シスの女性にとってはリアルな問題なのだろうけど、トランスの女性からしたらぜんぜんわかりませんしね。十代のうちに薬もなしに胸が膨らんだりするとかも、シス女性が描くとたまに「不気味な変化」みたいにされていたりするけど、自力ではそんな変化が起きさえしない身からしたら「え、なにそれ、ずるい」みたいに感じてしまうほど。

それはもちろんどちらがよりリアルとかという話ではないのですが、シスのひとにとってトランスの女性の生き方を描く作品が違和感を抱かせ、場合によっては「偏見に基づく女性像」とさえ感じられうるのと同じように、私からするとシスの女性の生き方を描く作品って実感を伴わないリアリティを欠いたもので、しかもあんまり思春期の身体的な変化とか生理・妊娠の話とかをされると「女性には特有の身体的特徴があるという偏見の強化ではないか」と感じさせられることもあって、どうにも共感したら憧れたりしやすくはないんです。

そんななか、この小説のケイティのリアルな魅力! ケイティはパスも必ずしも完璧ではなく、たまにリードされる(トランスだとバレてしまう)し、そのせいで差別的な扱いを受けることもある。低い声を気にして初めはニックともうまく喋れないし、初対面のひと相手だと慣れるまで変に高い声が出てしまったりする。

いろいろなことに傷ついたり、古い傷を癒そうと友達と人形遊びをしたり、そしてそういうふうに生きたからこそニックからレディとして扱われることに喜ぶ。それが、すごくリアルな女性像だと、私には感じられる。そんなケイティがニックの目を通すと本当に可愛らしく美しい女性となっていて、ケイティがリアルに感じられる分、ニックのその視線は私からすると快く憧れられる、「私もこんなふうに見られたい」と思われるものになっているんです。

だからこそ、中学時代から江國香織さんや山本文緒さんの小説を読んだりして、「可愛らしいな」とは思いつつも、いまいち心を揺さぶられるには至らなかった私が、生まれて初めてクライマックスに涙を流したんだと思います。私はどちらかというと本を読むほうだと思うのですが、恋愛小説で泣くというのはずっと大げさな物言いに過ぎないと思っていて、でも違ったんですね。しっかり共感して自分を投影できたなら、主人公が幸せになる姿にちゃんと泣けるんですね。ただ世の中に、私が共感できるヒロインの数が圧倒的に少ないだけで。

さらにこの作品は、性別移行や性別違和自体が物語となってはいないというのも大きなポイントです。社会からの偏見の話はありますが、あくまで核をなすのは二人の恋愛と、恋愛を通じて自らを作り直していくニックの変化。私が自己投影できるような人物がヒロインとなっている恋愛作品って、もうその時点で本当に少なくて、世の中にほとんど存在しないのではないかというくらいなんです。翻訳もないうえにおそらく絶版という、このうえなくアクセスしにくい作品ですが、私みたいにうまく自己投影できるヒロインが見つけられないトランスのひと、あるいは私みたいなひとがどういったものに共感するのかを感じ取ってみたいシスのひとに、広くおすすめです。